祈りの検証!?(その2)


初心にかえる


私の町では、町議選が去る7月10日にありました。小さな町に13人の候補者が立ち、
炎天下にもかかわらず街宣車から顔を出し「○○を勝たせてください!!」、会ったこと
もないのに「お世話になっております。○○をどうぞよろしくお願いします」と満面の笑顔
を向けて手を振るのです。


街頭では通り行く町民に平身低頭して、「皆さんのために頑張ります」と僕(しもべ)に
なることを誓います。


ところが、多くの僕は地位を手に入れるや否や、立場が逆転して自身のために働くのです。
(どこかの総理は大丈夫ですか・・・)


そしてまた、選挙が近づくと「○○は頑張りますので、ヨロシク!!」をくり返すのです。


ヤレヤレ・・・。マッタク・・・ですね。


実は、この話は「主から見た私たちの祈り」のことでもあるのです。


主に取り扱っていただきたい問題や願いごとを祈ります。その祈りが応えられた時には、
もちろん感謝するでしょう。でも日ごろの小さなことや当たり前のように朝が来て無事に
一日が過ごせたことを感謝しているでしょうか。


振り返ってみて、結果的に物事がうまくいっていた時にも感謝しているでしょうか。
なにより、主の恵みによって救われていることの感謝を忘れてはいないでしょうか。


そして、「主をおのれの喜び」(詩篇37:4)としているでしょうか。


誰よりも主を愛し、迫害の中にあっても主の賛美と感謝を口から離さなかったパウロは、
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」
(テサロニケⅠ・5:16〜18)と、教えています。


喜び、祈り、感謝」は、主との正しい関係においての、まさしく「ゴールデン・サイクル」なのです。


そしてこれが「キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(5:18)


天の父である主は子供とされた私たちを祝福してくださらないはずがありません。