その栄光は誰のもの?

私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、
あなたの恵みとまことのために、
栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください
。」(詩篇115:1)




先日、ある友人(クリスチャン)の父親が亡くなられたので葬儀に参列してきました。


その友人の実家は、古くから近所の寺の檀家で葬儀も仏式で行なわれましたが、友人の
取り計らいでクリスチャン参列者のために献花も用意され、焼香と献花の変わった(?)
葬儀となりました。(かえってこのことが伝道の機会になったそうです)


キリスト教式の葬儀は、もちろん死んだ方の霊を拝むことはしません。救われた方の霊は
死んで身体から離れたら、即座に天の父の元に帰っていき永遠の安息を与えられます。


ところで、仏式の葬儀で一番偉いのが僧侶になるのでしょうか・・・?と言うのは、最後に
僧侶が入場し(本来は最初に入場し迎えるのでは)、その際に丁寧に礼までさせられます。^^;


私たちキリスト者(クリスチャン)も自分の働きや功績に対する評価を期待してしまう弱さ
を持っていますが、全ての栄光は「私たちにではなく主の御名」にあることを忘れてはなり
ません。


「私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。」(
コリントⅡ・4:5)