受け取るのも愛
「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、
わたしのあなたがたに与える戒めです。」(ヨハネ15:17)
私が通っている教会に、とても信仰の篤い92歳の姉妹がいます。
そんな姉妹ですが、さすがに肉体の劣れは隠せず、一人で歩くことが困難です。
教会には家族の方に車で送ってもらい、帰りは誰かが車で送ります。
昼の準備やまた、後片付けなどができない自分に歯がゆさを感じているようでした。
先日も自宅まで送る車の中で、「私は何もできなくて・・・。いつも、していただくだけで。」
と、何もできないことを申し訳なさそうに話していました。
マザーテレサは「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分
は必要とされていないと感じることです。」と言いました。この教会の姉妹も何もできなく
なり、必要とされていないと感じているなら、これは辛いことです。
イエスは「互いに愛し合いなさい」と戒めを残しました。「互いに」と言われたのです。
「愛し合う」ということは一方的では成立しません。愛を与える人がいて、受け取って
返す人がいなければなりません。
私は高齢の姉妹の少しでも手助けをしたいだけです。そして、姉妹の役に立てて喜んで
いただければ嬉しいのです。姉妹がただこの愛を受け取って「笑顔」の一つでも返して
くれたら、「お互いに愛し合う」という関係は立派に成立するのです。
ただ、受け取るだけで良いのです。それも「愛」なのですから。