イエスの憂い

・・・しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰がみられるでしょうか。」
(ルカ18:8)



これは聖書の中で、とても意味深い言葉であり、また、重い言葉として受け止める必要
があるのではないでしょうか。


忙しい日常から少し目を離し、もう一度自身の信仰を見つめ直すときかもしれません。


ルカの福音書の17章でイエスは弟子たちの「私たちの信仰を増してください」(17:5)
という願いに対して、「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木
に、『根こそぎ海の中に植われ。』と言えば、言いつけ通りになるのです
。」(17:6)と
言われたのです。


これは、私たちの信仰を問う言葉ではないでしょうか。「信仰を増す」という発想を持つの
ではなく、そもそも「信仰」の意味が何であるか考える必要があるのです。真の信仰は「から
し種」ほどの小さな実で十分なのです。


時代は明らかに「目をさましていなければならない」ときです。肉の惑わしが多い世の中で
御霊によって歩んでゆけるよう、さらに失望しないで「祈る(主との交わりの時間)」必要が
あるのではないでしょうか。


あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」
(ヘブル10;36)