挑発!?


「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
愛する兄弟たち、だまされないようにしなさい。」
ヤコブ1:14〜16)




先週末あたりから、心が穏やかではありませんでした・・・。


聖書を読んでも落ち着かず、祈ろうと思っても心が騒ぎ、主の前へと進みでる
ことができないでいました。どうしたことか、と正直不安でした。


それは、紛れもなく自身の中にある罪(欲)の性質がもたらすものなのです。


人はそれぞれ罪をかかえて生きています。残念ながらクリスチャンでも無い人
はいないでしょう。もちろん、その罪の働きを御霊の力によって抑えることは
できます。


世間では「魔が差した」という言葉をつかいます。「まさかこんな人が」といわれる
人でも万引きをしてしまったり、電車の中で痴漢をしてしまうこともあるのです。


サタンは「それぞれの人の中にある欲(罪)」(ヨハネⅠ・2:16)を足がかりにして
働くから注意していなければなりません。


今回の私の場合は、人に対する怒りでした。傲慢という罪が人を裁く心へと変えて
しまい、己の正しさ(?)のみを主張して、霊的な盲目状態へと落とされるのです。


これは、まさしくサタンの働きです。少しでも不安を覚えたり平常心でいられないと
感じたら、直ぐに主へと向かうことです。「今の心の状態を思い煩いを知っていただき、
罪へと向かわないように導いていただく
」(詩篇139:23,24)ことで、「罪が熟す
ことのないように御霊の導きを求めるのです。


サタンの働きを侮ってはなりません。わたしたち人間よりも力があり狡猾です。己の
運命を知っている「この世の神はあらゆる手を使ってイエスキリストの救いから私た
ちを引き離そうとしている
」(コリントⅡ・4:4)のです。


私たちの心に「主への疑いの目」を持たせたり、「争いの種」をまいたり画策しています。
これらはサタンの惑わしであり、罪へと誘う挑発なのではないでしょうか。


私たちはいつも立ち位置を確認し、イエス・キリストの十字架の下から迷い出ることの
ないように目を覚ましていたいものです。



「・・・・あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。
平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。」

(ローマ16:19、20)