本当の礼拝
「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」(新共同訳 ローマ12:1)
わたしたちは、御子イエスの贖いによって天の父なる神の前に聖い者とされました。
そして、罪の世の奴隷から開放され、今は自由です。もう自由の身でなにをしようが
勝手です。
なぜなら、もう罪が許されて救われているからです・・・。
・・・・・これだけで、本当はじゅうぶんでは。^^;
ところがパウロは、「自分の体をいけにえとして神に献げなさい」と懇願(原語では強く
勧める)しているのです。なぜでしょうか。
旧約の時代のいけにえは殺した動物でした。パウロは「生けるいけにえ」として献げな
さい、と言っています。
生けるとは「自ら、すすんで」という意味です。死んだ動物と違い、生きているので意志
をもっています。その意思を神のためにつかうのです。
それが「生けるいけにえ」なのです。それが、自由の身になったわたしたちが、今度は
その自由を神に献げるのです。
神のすべての祝福を自分のものにするために。