主は2度来られる


「そして、こう言った。『ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。
あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのを
あなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。』」

使徒:1:11)


この季節、ジングルベルの鐘の音とともに人々は浮かれ町は賑わいを増す。


そこには「人として全人類の罪の贖いのため、苦しみをうけるために生まれ
た」主イエス・キリストの降誕を心から感謝し祝う人の姿は見られない。


そもそもクリスマスは、キリストの誕生日を祝うものではない。24日がイブ
で夜を楽しみ25日は少し神妙になって誕生を祝う・・・。


人となって来られたお方は再び来られる。二度目は「神として救いの完成」の
ために。


ここに、私たちのすべての希望があります。


主はこの地上におられる間はのろわれた者となり、栄光の光さえ包み隠し、
低い姿勢でたんたんとご自分の御業を成し遂げてくださいました。


私たちも、この主の影で今は背を丸めて歩いていますが、主が天で持っておら
れた栄光を携えて下ってこられる時、歓喜のうちに主の元へと迎え入れられる
のです。


そして過ぎ去った日々はもう思い出すこともなく、天の父(アバ父)なる神の国
太陽のように輝く新しい身体をまとうのです。


主の降誕を祝うこの次期に、もう一度この主の御業を確認し、たしかに近づいて
いる主の再臨を待ち望む者として、この世の雑踏に心を奪われることなく、主の道
を歩んで行きたいものです。