神との関係に生きる

見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、
日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。
これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財産を与え、これを楽しむことを許し、
自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。
こういう人は、自分の生涯のことをくよくよと思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。

(伝道者5:18〜20)



先日、妻の携帯電話が送受信できなくなったので近くの販売店に行きました。妻の電話は
まだ新しい機種に変更したばかりでしたのでみてもらうことに。


私は妻の用事が済むまで店内にある新機種を見ていましたが・・・。


驚いたことに、ほとんどがスマートフォン(?)ってやつ。私も妻も電話とメール(しかも無料の
Cメール)しかしないので旧タイプを使用しています。


いやはや、もうアナログ時代の生き残りの私にはついて行けません。はなからついて行く気
などありませんが・・・。「電話と神さまとのパイプである祈りがあればそれで十分だ」と、負け
惜しみを言いつつ・・・。


この時代(アイオ−ン)は、次から次へと色々なものを仕掛けてきます。ただ、「便利な世の中に
なったなー」なんてのんきなことを言っていると、この悪意を持った時代の潮流に知らない間
に流されてしまいます。


ますます人は貪欲になり、無抵抗のまま偶像(貪りは偶像礼拝)を受け入れ、覆いをかけられた
神を見出すことが困難な時代になりました。


日々の糧が与えられていることや、生かされていることに感謝を忘れ、知らず知らずにこの時代
の差し出す欲望と姦淫の罪を犯してはいないだろうか。


もう一度、この世ではなく、人ではなく、しっかりと信仰の立ち居地を確認し、イエスとの交わり
の中を生きていかなければなりません。


そして一人ひとりに与えられた主の分を感謝して生きていければ幸いです。