善意の押し売り!?

日曜日の礼拝の後、いつものように昼食を一人暮らしのじいさんへ届けに
行きました。


いつもなら、差し上げた食事を受け取り「あっ、どうも」と頭を下げるので
すが、その日は不機嫌そうな顔で「構わないでもらいてぇーんだ」と・・・。


私は喜んでもらっていると思っていたので、この反応に少し戸惑ったと同時
に、悲しさを覚えました。


重い空気が漂い、少しの沈黙がありました。黙って様子をみていると、「時間
どおりに、薬が飲めねぇーんだ。今朝はいつもより遅く起きたんで、飲めなかっ
た。昼が遅くなったんで、時間がずれて薬が飲めねぇーし・・・。」


どうやらじいさんは、朝昼晩と決められた食後に飲む薬が飲めなかったようで、
「これじゃー、直りゃーしねー」と。


そこに、3時ころ食事を持ってこられたので、それを食べれば決められた時間
に飲まなければならない薬が、また飲めない。との強迫観念にとらわれて、ご
立腹だったようです。


このとき、私は自分の基準(価値観や考え)をじいさんに押し付けていることに
気づかされました。「今食べなくても夜に食べれば・・・」「別に決まった時間に
飲まなくても・・・」。


じいさんにしてみれば、持ってこられた物はすぐに食べる。薬は決められた時
間に必ず飲まなければ効果がない、と考えているのです。


相手の状況や価値観を見極めて接することは難しいことです。しかし、相手の
反応だけをみて自分の心を働かせることは罪につながるので注意しなければな
りません。


「せっかく、してあげているのに・・・」、という思いが怒りにつながってゆきます。
これは「感謝されるのが当たり前」と権利意識を持つからです。この権利意識が
人を卑しめてしまうのです。


サタンは、このちょっとした罪の根を人の心に見つけては、罪へとすすませるこ
とに成功します。


何をするにも、人に対してではなく


これは健やかな人生を送るための黄金律かもしれません。




「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。
あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知ってい
ます。あなたがたは主キリストに仕えているのです。」
(コロサイ3:23,24)