じいさんちに棲む、座敷わらし?
「○○さーん、○○さーん!!」
「・・・・・?」
玄関が閉まっていたので廊下のガラス戸をたたくも、応答がありません。いつも
なら、中から「うぃー」とか「あぁーっ」とか低い声で返事があるのですが・・・。
まさか・・・。じいさんが・・・。ついに・・・。などという思いが頭をよぎりましたが
いつもの鍵が置いてある場所を確認すると、そこに鍵がぶる下がっていました。
きょうも夕食にと、礼拝の後に皆で食べた昼食を届けに来たので、玄関先に置いて
帰えるわけにいかず、鍵を使って中に置いて帰ることに。
2時間くらい経ってから、じいさんから電話があり、「どうも、すみません。」と礼を
言った後に、「でも、鍵をかけていったはずなんだが・・・」と言うじいさにいきさつを
伝えると納得した様子。
2ヶ月くらい前に不思議なことがありました。きょうと同じように不在だったので鍵を
開けて中にメモを添えて置いて帰ったのですが、後日じいさんの話によると・・・・、
「書置きはあったんだけど、どこにもメシなんかなかったんだ」とのこと。身体は不自
由ではありますが、頭はさえているじいさんの言うことは本当だと思います。
泥棒が持ってゆくはずもなく、ましてネズミが重たい袋ごと引きずって持ち去ることも
考えられません。だとすると・・・・。
「誰か、○○ちゃんの他に住んでるんじゃないの?」「座敷わらしとか・・・」と半分冗談
で半分本気で聞くと、「・・・・、わかんねぇー」と少し笑みを浮かべながら返してくるの
でした。
「どうか主よ、この愛するじいさんの頑なな心の目を開いてくださり、食事だけでなく
一番大切な、飢えることのない食物や渇くことのない水を求める心が与えられます
ように顧みてください。御名によって祈ります。アーメン」
「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来るものは決して飢える
ことがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』」
(ヨハネ6:35)