キリストの律法


互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」
(ガラテヤ6:2)



神の基準から外れ(聖書の言う罪)た初めの人(アダム)以来、人類は自分の基準
で生きなければならなくなりました。そのために他人のことを気遣ったり、相手を思
いやることは難しいこととなりました。


まず自分を満たすことが最優先されなければならないのです。そして、自分の基準
から外れた人を見ては不快となり、協調することを困難なものとし、さらには蔑む心
さえ生まれてきます。


いつでも、「自分にとって心地よいことか」「自分にとって利益のあることか」「自分に
とって・・・」が判断基準になるのです。


これが人の罪の元(原罪)となりました。


旧約時代の律法は「キリストによって終わりました」(ローマ10:4)が、今度は新し
いキリストの戒めが私たちにもあると言います。それは「互いに愛し合いなさい
ヨハネ13:34)です。


人間関係の問題はすべて「」がないことが原因です。


それでは具体的に「互いに愛し合え」とはどのようなことなのでしょうか。


ガラテヤ6:2では「互いの重荷を負い合いなさい」と言います。この重荷はひとりで
負える荷ではありません。誰かに一緒に負ってもらわなければならないのです。そし
て「愛し合うことは互いに重荷を負うこと」だと教えます。


人を才能や能力、性格や容姿、趣味や癖までも細かに細分化しそれをレーダーチャ
ートで評価した場合、完全に丸の形になる人はいません。どこか優れた所があれば、
かならず反対側がへこんでいる(弱い)ものです。また逆に、他人より弱い部分があれ
ば、反対側は優れているものです。そうやって、トータルでは差がないように作らて
いるようです。


この弱い部分、つまり「他人より少し劣る部分を補い合うことが重荷を負い合う」ことと
なるのではないでしょうか。<次に続く>