聖書を教えなくなった教会


ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。
私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。


私は神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせて
おいたからです。」(使徒20:26、27)




私たちが救われて神の前に義とされたのは、恵み以外の何ものでもありません。
そこには私たちの何の行為もありません。


しかし、救われてキリストにつく者には、十字架を負うことも要求されています。


信者を獲得することにのみ心を配り、大衆受けするメッセージしか語らない教会
からは、主の栄光が見えてきません。


ここに日本にリバイバルが起こらない原因の一つがあるように思えます。


「神の計画の全体を知らせる」とは、聖書全体を教えることです。つまり、創世記
から黙示録までのすべてをひも解き、主のみこころにかなう生き方を適用して行
くことではないでしょうか。


聖書が神の霊感で書かれたと信じるならば、生きていることばのひとつ一つを
吟味し分かち合い、そして神のことば(聖書)に飢え渇きを覚えさせることが、
教会(指導者)の役割であるはずです。


そこからは主の働きです。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」
(マタイ16:18)と言われました。ペテロに「あなたが、あなたの教会を建てる」
と言われたのではありません。


人々の好奇心をあおるばかりの商業化した教会や、肉にのみより頼み御霊を消
してしまうような教会には容易にサタンが入り込み、しらずしらずの内にタクトを
振っていることもあるので注意する必要があります。



そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
使徒6:4)