旅に必要な「私の手荷物、私たちの荷物」(その2)


あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合い
なさい
。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも
互いに愛し合いなさい
。」(ヨハネ13:34)



パウロは「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」
と律法を行なうことを命じています。互いの重荷を負うことは、キリストの律法を
行なうことだからです。


その律法(戒め)が、ヨハネの13章に示されている「互いに愛し合いなさい。」です。
「互いに愛し合う」ことが「互いの重荷を負い合う」ことになるのでしょう。


さて、前回では「一人で持てない重荷は個性だ」と書きました。そして、神はみな違う
ように私たちを造られたことも確認しました。


そうであるならば、「互いに愛し合うとは」、その「個性を補い合うこと」なのではない
でしょうか。


個性は生まれ持ったものであり、育った環境によっても変化するようです。また厄介
なことに、自分では自覚できないこともあります(他人の弱点は良くみえます)。さら
に、自分の力で修正することは困難です。


他人の弱点でもある個性を蔑んだり非難するのではなく、自分の持てる個性(長所
の)をもってその人の弱点を補えば良いのです。力があれば力のない人を助け、知
恵があれば知恵を貸し、時間があればその時間を他人のために使い、そうして、人生
の旅を愛を持って支え合って歩んでゆくことが、神が望まれていることです。


罪が支配する今の世の中からは、ますます「愛」が失われ、耳を疑いたくなるような
事件がこれからも増えてゆくでしょう。この時代が過ぎ去らなければ本当の平和な
世界は訪れません。


キリスト者の役割が「世の光、地の塩」であると信じるならば、「見せ掛けではなく
自然に愛し合うことが生きているキリストを表すことになる
」(ヨハネ13:35)と信じ
ています。