泣いておられる救い主
「・・・人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
(ルカ18:8)
救い主の公生涯が終わりに近づき、いよいよエルサレムへと勝利の入場を目前に
したイエスは、「繁栄しているエルサレムを見て涙を流されました。」(ルカ19:41
〜44)
イエスの視線の先にはエルサレムの崩壊、イスラエルの民の離散に迫害(ホロコー
ストなど)、そして現在のキリスト教国といわれていた国々の堕落やクリスチャン
一人ひとりの姿(信仰)が映し出されているのではないでしょうか。
そして、泣いておられるのです・・・。
この世はますます罪が増し、神のご計画の時計を早めているようにさえ思えます。
神の臨在がハッキリと示されていた時代でさえ「とりなす者のいないのを驚かれ
た」(イザヤ59:16)のです。
「目をさまして祈りましょう。」兄弟姉妹のために。神の国と神の義のために。
滅びの道を知らずに歩んでいる人の心の目が、「ご聖霊によって開かれて真理を
知り、イエスが開いてくださったいのちの道を選び取って歩むことができるように」
祈りましょう。
サタンは人の中に「自分のためだけの信仰」を見ても恐れません。サタンが恐れる
のは「とりなしの祈り」です。サタンは「祈りという神の力」を行使されるのを恐れる
のです。だから、あらゆる妨害を駆使して、祈れない理由を創り出してきます。
兄弟姉妹よ。惑わされてはいけません。
そして、祈りましょう!!
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)