主よ、私に何を期待しておられるのですか?


私が『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』と尋ねると、
主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするよう
に決められていることはみな、そこで告げられる。』と言われ
ました。
」(使徒22:10)



私たちには、罪の性質が残る弱い肉体があるために、悩み苦しみに襲われ
るときがあります。


ある時にはそれは耐え難く思われることさえあるでしょう。「主よ、この状態
から、今すぐ救い出してください!!」と叫びながら祈ることもあるかもしれ
ません。


しかしますます暗闇は増し、絶望の壁に四方を囲まれ力なく倒されるしかな
いこともあるのです。


主は、イエスによってキリスト者とされた私たち一人ひとりを苦しめるために
救ってくださったわけではありません。それどころか「主の栄光の富で必要を
満たしてくださる
」(ピリピ4:19)のです。


あるとき私自身にも、何重にも重なった試練と思えるようなできごとがありま
した。主に感情を浴びせかけるような祈りをしたこともあります。また、失意に
声さえ発することもできないこともありました。


「主よ、もうじゅうぶんです。」と闇がおおう地面の底に顔が触れた瞬間、ほの
かな光に照らされたのです。そして、かすかな声で「お前に期待している・・・
と、ささやいてくださったように思われました。


溢れる涙を拭うこともできずに、ただ主の御心の真意を探ろうと思いが働いた
と同時に、ひとつ一つが益に変えられていったばかりか、すべてが主の備え
てくださった、なくてはならない道しるべだったことを知りました。


私たちキリスト者が通る道はみな違います。それでも「一人ひとりの杯は主の
恵みで溢れている
」(詩篇23:5)のです。


主の御心に従い、「立って、歩み出す」先には、道が備えられていることを見る
ことができるでしょう。