罪の根を断つ!
「愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。
しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそい
ようにしなさい。」(ヤコブ1:20)
人は誰でも、聞くことよりも話すことの方が好きです。自分のことを
聞いてほしいのです。人のことを聞いてもおもしろくないですからね。
だから、相手の意見をさえぎってでも、自分の思いをまず話したいので
しょう。
そこから、口論になります。なぜなら、相手も同じように自分の意見を
通そうとするからです。(自我という罪のぶつかり合いです)
そして、その「欲(自我)がはらむと罪に発展し、罪が熟すると死を生む」
(ヤコブ1:15)のです。
エペソ人への手紙では「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるま
で憤ったままでいてはいけません。」(4:26)とパウロは言います。
やがて小さな怒りでも、殺人事件に発展することもあります。そして、その
罪の結果(報酬)は死だ、と聖書にはあります。
怒りという感情自体は罪ではないのですが、怒りには罪がともなうから注意
しなければなりません。いつまでも怒っていることは、「悪魔に機会を与え
ることになる」(4:27)からです。
悪魔は人の心の中にある罪の根を見つけて、それを足がかりとして、罪を働
かせるようにしむけるのです。
私たちは、「人の話を積極的に聴く思いやり(聞くにはやく)」を持ち、「怒
るに遅い」柔和なこころを持ちたいものです。
「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、
聖霊によって証印を押されているのです。」(エペソ4:30)