主よ、助けてください!!(その2)


「よくなりたいか」というイエスの問いかけに、彼は何と答えたの
でしょうか。


「水がかき回されるとき・・・・、誰も入れてくれない。誰かが先に
入ってしまうから、私は入れない・・・。」と、自分に起こっている
ことを説明し「自分が治されなければならない状態」であることを
忘れてしまっているかのようです。


エスは、この男の言い訳が耳に入らなかったかのように、ただ
ひと言「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」と言われました。


38年という長い間に、病気から開放されたいという望みも薄らい
でしまったのかもしれません。「池に入れば治る」という強い気持
ちから、「誰かがそのうちに入れてくれるかもしれない」、という
かすかな希望を糧に、その日をやり過ごしていたのかもしれません。


「床を取り上げて」とは、「ぬくぬく温かな布団から出よ!!」という
ことです。


寒い冬の朝、温かな布団から抜け出すには気力がいります。「ああ、
できることなら、このまま寝ていたい」と思うことがあります。


寒い外に出るよりは、ぬくぬくとした気持ちの良い布団の中にいた
いのです。


でも、勇気を出してそこから出なければなりません。その場所は、
私たちの居場所ではありません。


余りにも長い間そこにいたので、自分はそこから抜け出さなければ
ならない存在であることを忘れてしまいました。


エスが言われた「よくなりたいか」という当たり前にも聞こえる
言葉は、憐れみとともに、「罪のままでは死ぬしかないのだよ。治
(赦され)されなければならないほどひどい状態なのだよ
。」と、
悲痛な叫びであったのかもしれません。


聖書には天地を創られ、私たち人間も創られた唯一の神がいて、
そのお方の前では誰でも罪人だといいます。(罪とは神を認めず
に、神から離れて自分勝手に生きていること)


罪人のままでは肉体の死後(霊は永遠に生き続ける)に、永遠の
滅びがあるというのです。


知らずに滅びへと向かっている多くの人々へ、「あなたたちは、
救われなければならないんだよ!!」「そのことを気付いて!!」
と、イエスは涙を流し大声で叫んでおられるのです。


エスは「すべての人を照らすそのまことの光」(ヨハネ1:9)と
して、人々の罪(病気)を示し、そして、「世の罪を取り除くため
(1:29)に来られました。


誰からも賞賛されることもなく、誰にも苦悩をこぼすこともなく、全
人類救済という「十字架での贖い」を成し遂げられました。


そのお方が、きょうも、招いておられるのです。


よくなりたいか」と。


どうぞ、心の目が開かれて、「主よ、よくなりたいです。」「救ってくだ
さい。
」と、素直になって応答できれば幸いです。