傲慢という罪
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、
互いに人を自分よりもすぐれたものと思いなさい。」
(ピリピ2:3)
私たちは、自分の内に存在する罪を見せられるときが
あります。
ある兄弟が自分の二人の娘さんのことを話してくださ
いました。幼稚園の妹と今年小学校に上がる姉との可
愛い盛りですが、二人で仲良く遊んでいたと思ったら
最後は必ずけんかになるそうです。
○○ちゃんが悪い。○○ちゃんは自分ばっかり・・・・。
ここにもハッキリと聖書が教える「自己中心」という罪
を知ることができます。
政治家が出演する討論会を観たことがあります。討論が
白熱してくると、怒り出す議員がほとんどでした。
この人たちの心の中には「自分は正しい」、さらに「自分
は、この人たちより優れている」という見下す態度がある
ことも知らなければなりません。
神が嫌われるのは、人の内にある傲慢という罪の根です。
なぜなら、サタンの性質だからです。
残念ながら、この肉の働きは教会内でも起こるから注意
が必要です。
だからパウロは罪に陥らないように対処法として「へりく
だって、互いに自分よりすぐれた者と思いなさい。」と教え
るのです。
正しいと思うが故に、また、自分の方が勝っていると思う心
が人を卑しめ、さらに罪へと誘い込みます。
自分より勝っていると認めた人の言うことには耳を貸すで
しょう。あるいは、この人の方が知恵があると尊敬する人
のことには従うでしょう。
教会内では、このへりくだる態度(イエスが一番へりくだっ
たことを忘れてはなりません)は必要です。
なぜなら、主が求めておられるのは「公義を行い、誠実を
愛しへりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」
(ミカ6:8)
主は「高ぶるものに敵対し、へりくだる者に恵みを与える」
(Ⅰペテロ・5:6)とペテロは言います。謙遜を身に着けて、
へりくだる者にしか恵みを与えることができないのです。
「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を
聖ととなえられる方が、こう仰せられる。
『わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだ
った人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕か
れた人の心を生かすためである。』」(イザヤ57:15)