地上に降りた天使たち

子供は天使だ!


穏やかな小春日和の休日、久しぶりに沿線の公園に電車で出かけてみた。陽射しで暖められた車内には、ゆるやかな時間が漂っている。電車の車輪からのぼってくる振動は心地よく、私を夢の中へと誘い込む。


「ギャーギャー、キャッキャッ」


突然の黄色い歓声に、夢から引き戻され重いまぶたを開けてみると・・・。


目の前にはちびっ子の顔、顔、顔。


いつの間にか、保母さんに引率され遠足に向う保育園児に囲まれていた。車内にはわだかまりのないおしゃべりがぶつかりあう。そこには、遠慮もなければ打算が働く余地も見出すことはできない。


一瞬、感情の戸惑いを覚えつつも、なにやらからだが浮くように心地よい。この世の雑踏が届かない楽園で、重いからだから解き放たれたような感覚をしばし楽しんだ。


「この子たちは、地上の天使だ」・・・。ふと、こころがつぶやいていた。


「どこに行くの?」と、眼の前に立つ男の子に声をかけると、

はにかみながら「○○公園にいくんだ」と嬉しそう。

隣のおしゃまな女の子もつられて「おべんとねー、食べるんだよー」。

「お母さんが作ってくれたの?」。

「うん、ママね、早起きして作ってくれたの。○○ちゃんね、野菜だって食べるんだよー」小鼻を膨

らませながら目を輝かせた。


この子たちにとって、今が一番楽しく幸せなときなのでしょう。


屈託のない無邪気な笑顔は、必死に人生を自分でやりくりするうちに硬化させてしまった、おとなたちのこころもほぐしてくれます。


休日の公園は、砂漠に点在するオアシスのような引力で様々な人びとをたぐり寄せます。開放的な緑の空間では、日々のストレスもすっかり消えてしまいます。


幼子は、ほどばしるエネルギーを大自然の中に振りまくように駆け回り、見守る親は眩しそうに目で追いかけています。やがて、親の腕の中で消耗した心身を投げだし、すべてを委ねます。



ここには、明日への不安や恐れすら見当りません。自分の力でやりくりする必要はないのです。


そんな幼児期を過ぎ、やがて地上で根を張るために、めいっぱい自我の触手を伸ばし、自力で生きぬけるように成長(変態)していくのです。


こうして「地上に降りた天使」は、この世界の作為的に仕組まれた法則に翻弄されながらおとなになり、必要以上に肥大化させた自我で魂の眼をも塞がれてしまうのです。


それが、神から離れて(霊的に)しまった人間の生き様なのです。


そして、そこにこそ、人生の大いなるヒントが用意されているのです。


(次に続きます)