ネットの光と闇「攻撃しているのは、自分自身です」


ある方(クリスチャン)のブログが倒錯した人々の攻撃対象にされていた。


“病んでいる”としか言いようがない・・・。


匿名性がゆえに、実生活において人間関係では築くことができなかった偽の連帯感も生まれ、“馴れ合いの仲良しクラブ”と化している。このことが悪いと言うつもりはない。


しかし、この不安定な基礎(この方のブログの場合は真理としておきます)に建て上げられた共同体は、すぐに崩れるしかないのだ。つまり、気持ちよくさせてもらっているうちは良好に見えるが、少しでも相手にとって不都合であったり、相手のこころの傷に触れてしまった場合は、鬼のような反撃をしかけてくる。


その反応を見れば、相手の精神病理が手に取るようにわかるものだ。自身の傷や隠された罪を相手に投影させ、まるで鏡でも見ているかのように自分の姿に攻撃しているのである。その世界においては逆転現象が起こる。病んでいる人からみて健常者が病人とされてしまう。


この方のブログでは、管理人がカルトの教えに縛られている人を救うために聖書の真理を語り、読者がその示された“聖句に傷つけられた”としている。そのやり取りは、はじめからお互いに霊のフィルターが違うために、交じり合わない。そのため、聖句に“傷つけられ、暗部が光に照らされて打撃をくらった人たち”は真理を語った管理人にたいして、その痛みの怒りをぶつけている。これは自身を攻撃していることにほかならない。


聖書は「真理から迷い出たものを連れ戻せ」(ヤコブ5:19、20)とある。この使命に駆られた管理人を通して語られる御言葉が相手の霊を照らし出し「たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通す」(ヘブル4:12)ので自身のこころが痛むのだ。素直になって悔い改めれば幸いだ。なぜなら今度は、人にではなく「すべてをご存知の神の前で弁明することになる」(ヘブル4:13)からだ。


反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。」「それで悪魔に捕らえられて思うままにされている人々でも、目ざめさせてそのわなをのがれることもあるでしょう。」(テモテⅡ・2:25,26)


※特定の方を攻めるつもりで書いたのではありません。もう一度、内なる主にこころの奥を探っていただき、正しい道に引き戻していただきますよう祈ります。