クレームの連鎖

先日、ある方の付き合いでスーパーにカーテンを買いに行きました。


カーテン売り場に行き、サイズなどの確認をしたいので店員さんを探しにレジまで
行きましたが、作業中で手が離せない様子。少し待って声をかけましたが「今の作業
が終わるまで待ってくれ」という感じでした。


そこにいた一人の中年の女性が作業を中断し、「すみません、お待たせしました・・・。」
と言って応対に来てくれました。その忙しくしている店員さんに「悪いですね。忙しいのに
お願いしちゃって」と言うと、少し眉間にシワが寄っていた顔が笑顔に変わったのです。


店員さんは「いや、お客さんが悪いなんて・・・。こちらが直ぐにお伺いしなければならない
のに・・・。」と言って、恐縮していました。それからの応対は、そこまで丁寧に教えてくれ
なくても、と言うくらいでした。


そして、お互いに気持ちよくその時間を共有できたのです。


もし相手の状況や立場を考えることなく、自分の欲求だけを満たそうとしたらどうなる
でしょうか。この場合は、客の有利な立場を利用して店員さんの態度に対して苛立って
クレームを言うこともできるでしょう。クレームを言われた店員さんは傷つき不快にな
るだけではなく、心の余裕をもなくしてしまいます。


私は以前、文具通販会社のクレーム対処の仕事(間接的ですが)をしていたことがありま
す。その時の経験からクレームのメカニズムやクレーム発生の心理を学びました。


自我によるクレーム(ここでは正当なクレームは除外しています)は人の心を歪めながら
連鎖してゆくのです。切れられた人は、今度は切れることができる場所を求めて。


この連鎖を止めるのは、「相手の立場に立って考える」心の余裕であり、相手を哀れむこと
ができる確かな裏づけを持つことです。


それが聖書の教える「愛」です。


この世の中、人と人だけの横の関係では「愛」はもろく崩れ去ります。しかし、天地万物を
造られた創造主と出会うことができれば、私たちは神との縦の関係が築かれて揺るぎのな
いものに変えられるのです。


人は、例え飽きるほどの財産を手に入れても心のどこかに満たされない空洞があります。
その空洞を埋めるのは、キリスト・イエスでしかないことを聖書を読めば、あなたは知る
ことになるでしょう。


人生の意味を求めておられる方。人はどこにいくのかを知りたい方は、聖書を開いてくださ
い。信じられないような世界があなたを待っています。