全てのことは、最善のために起こる

渡辺裕子さんというクリスチャンのカウンセラーがいます。
彼女自身も強迫神経症を長い間患っていました。皿を一日中洗っていたり、ハンカチ一枚干すのに半日を費やしたり、他人からみればばかげていることでも脅迫観念として迫ってくるのです。


ある精神科の医師から、カウンセリングを希望した彼女に「あなたは人格に問題があるのだからカウンセリングでは治らない」と冷たく見放されたそうです。
そんな彼女も聖書の人生観をもとにしたカウンセリングで癒された経験から、今は講演やワークショップで活躍されています。


渡辺さんが「国際異分野フォーラム」に招かれて「こころの世界」というタイトルで講演をした後の質疑応答でのやりとりが、とても印象的だったので引用させていただきます。





「すべてのことは、最善のために起こる」というタイトルで講演をされたそうです。


質疑応答の時間になり、始めに手を上げたのは、京大のエネルギーが専門の教授でした。
この教授は「渡辺さんは『こころの病は最善だった』と言いましたが、病気には原因はあったんですよね」という質問をしました。


渡辺さんは「原因は、あまり、考えないんですよー」と言うと、
教授は「あなたが考えなくても、原因はあったんですよね」と迫ってきたそうです。
さらに同じようなやり取りがあった後に教授は「科学の世界では、原因のない結果はありえない」と言い切りました。


たしかに原因はあったでしょうが、「原因が重要ではない」という考えの渡辺さんがこの教授に対する答を探していると、このフォーラムに一緒に参加していた河合隼雄さん(臨床心理学者)が助け舟を出してくれてこう言ったそうです。


「僕は渡辺さんの言った、『すべてのことは最善のために起こる』という人生観は大賛成です。もしこの人生観にたって生きるなら、いったい誰がこの人を治したのだろうか、と思うような奇跡が起こる。でも、あなた達科学者のように、自分の頭で納得できるか、原因と結果の帳尻をちゃんと合わせたいという方には、たとえ奇跡がおこっても見えないだろう」と。


その後に手を上げたのは、東大の精神科医でした。


彼は「私は質問も感想もありません・・・」


「これは、精神科医の懺悔です」と言うと、渡辺さんにこう続けました。


「あなたに、人格に問題があるから治らないといった医者は、その先生に治せなかったのであって、決して治らないとは言ってはいけない。同じ精神科医として私があなたに謝ります。」と言って、涙を流されました。


渡辺さんは、彼が謝ってくれたことと、彼の涙で、さらに深く癒されたそうです。






渡辺さんは「治す」と「治る」は違う、と言います。
治そうと病気の原因を探し、病気そのものに囚われているうちは本質を見落としてしまうのです。
しかし、原因ではなく、病気の意味を理解できたときに、治るのではないでしょうか。


また、こうも言っています。
立ち上がる力はどこからくるのか。
原因探しをやめ、意味探しの人生を歩み始めるときに、力が与えられる。


またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは、彼についてイエスに質問していった。『先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。』イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。』」 (ヨハネ福音書9章1〜3節)


聖書の人生観で生きることができたなら、その人は間違いなく幸いな人生を見つけることでしょう。